2011.9.16
一筋の光明がみえました
キルギスの子供たちの間には、いまだにリウマチ熱が蔓延しているということを初めて耳にしてから早いもので5年の歳月が経過しました。
これまでに二度にわたる現地調査、ナズグル医師の2年間の日本への招聘と医学的研修、キルギスの現状に関する論文報告、APLAR(当時 西岡久寿樹会長)の全面的支援による継続的国際シンポジウムの開催、シルクロードリボンの作成とその販売収益の寄付、各企業に対するキルギスへの機器、研究試薬や試供品の提供依頼、大使館、JICA、在キルギス日本センター(当時 浜野道博所長)からのアドバイスと連携、NPO法人の発足、考えられうる数々のことを行ってきました。そしてこの活動を通して、キルギス550万人の国民の死因のうち約半数を占める心突然死が、幼少期に溶連菌感染を制御することでその3分の一が防げること、すなわち約92万人の命を救えることを明らかとしました。
これらの活動を行うにあたっては、西岡久寿樹先生、小児科の権威である横浜市立大学 横田俊平先生、鹿児島の私の師である丸山征郎先生、納光弘先生、井形昭弘先生、そして土屋了介先生といった多くの先生方のご指導を仰ぎました。また初めての現地調査直前に、当時中央アジアに強い関心を持っていた故橋本龍太郎先生、公衆衛生を専門とする元厚生労働大臣 坂口力先生からの微に入り細に亘るアドバイスは、これらの活動を続けるうえでの私の大きな支えとなりました。そしてなにより、現地調査で見た多くのリウマチ熱の患児、溶連菌感染者の数、前大統領随行医師によるキルギス国での死因の半数が心突然死によるという話、同じく海外訪問の第一の目的が各国のCCUの場所の確認と見学であるという話。この5年の間にはキルギス国での政変、大統領制から議会制民主主義へのクーデター、また我が国での3.11の未曽有の大災害があり、活動は決して平穏なものではありませんでした。しかし身重の際に夫を心疾患で亡くしたナズグル医師と当時6歳の息子さんに初めて出会った時、彼女の熱意に共感して結んだ約束。“You have not only to be mother of your son, but also to be mother of your country by preventing from rheumatic heart disease.” これがこれまでの私の活動の原動力です。
最初に行うべきは母子手帳の作成と頒布であると考えました。JICAがインドネシアで展開した母子手帳プロジェクトでさえも5年の歳月を要したとのことです。
小さな小さな一歩ですが、今ここに母子手帳が完成しました。今後、全国への頒布と説明、保健省との連携、都市部と郡部における定点調査など長い歳月を要する課題が多く待ち受けています。最初の結果が明らかになるまで少なくとも30年。民間の草の根の活動ですがNPO法人格を得たことで、より継続的な活動として行っていきたいと思いを新たにしています。一世紀先のシルクロードの健康、それはとりもなおさず、私たち日本人の健康にもつながることではないでしょうか。
最後に、手弁当でこの活動を支援して下さいました下記の私の親友と家族に心より感謝いたします。(敬称略、順不同)
川村隆一、宇田一夫、小宮邦人、平野偉、川村幸世、柳沢史樹、壷内美和、八木下尚子、荒谷聡子、田中哲二、都留真也、上昌広、中谷孝、海里マリン病院、湘陽かしわ台病院、高知の仲間たち、トミー精工、尾崎理化、中村浩一郎、山東陽子
キルギス共和国 国家顧問
NPO法人 シルクロードの未来を考える会 理事長
東京医科大学 医学総合研究所 教授
医学博士 中島 利博











































































































































































